概要
狭い海岸平野でダレイオス3世の大軍を破った。王は戦場を捨てて逃げ、母と妻子が捕らえられる。
場所
イッソス位置は特定されていない(誤差 ±12km)
36.85°N 36.20°E · トルコ・ハタイ県
36.85°N 36.20°E · トルコ・ハタイ県
関わった人(2)
アレクサンドロス3世BC356年7月20日(21日説あり)–BC323年6月10日(11日説あり) · マケドニア側 · 総指揮ダレイオス3世BC380年頃–BC330年 · ペルシア側 · 総指揮本文
狭い海岸平野で、ダレイオス3世の大軍とぶつかった。
数ではペルシアが圧倒していたが、 場所が狭くて展開できない。
ダレイオスが自分で選んだ場所ではなかった。 アレクサンドロスの背後を取ろうとして回り込み、 結果として狭い場所で向き合うことになった。
戦いの最中、ダレイオスは戦車で逃げた。 王が消えると、軍は崩れる。
置き去りにされた陣営に、 王の母、妻、娘たちがいた。
アレクサンドロスは彼女たちを丁重に扱った。 王妃が死んだとき、正式な葬儀を行っている。
ダレイオスは何度も講和を申し出た。 領土の半分と、娘との結婚を条件に。
パルメニオンが「私がアレクサンドロスなら受ける」と言い、 「私がパルメニオンなら受けるだろう」と返したと伝わる。
出典(1)
アッリアノス 『アレクサンドロス大王東征記』第2巻 6–11