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Person / 人

アレクサンドロス3世

Alexandros III
BC356年7月20日(21日説あり) – BC323年6月10日(11日説あり)(享年32)
マケドニア重要度 5

概要

11年でギリシアからインダス川まで到達し、ペルシア帝国を滅ぼした。32歳でバビロンに没し、帝国は将軍たちに分裂する。

別名

アレクサンドロス大王、アレキサンダー大王

関わったできごと(15)

カイロネイアの戦いBC338年8月2日 · マケドニア側 · 左翼指揮フィリッポス2世暗殺BC336年 · 後継アレクサンドロスの東方遠征BC334年 · マケドニア側 · 総指揮グラニコス川の戦いBC334年5月 · マケドニア側 · 総指揮イッソスの戦いBC333年11月 · マケドニア側 · 総指揮ゴルディオンの結び目BC333年 · 断ったティルス攻囲BC332年 · マケドニア側 · 総指揮アレクサンドリア建設BC331年 · 建設ガウガメラの戦いBC331年10月1日 · マケドニア側 · 総指揮ペルセポリス炎上BC330年 · 当人ヒュダスペス川の戦いBC326年5月 · マケドニア側 · 総指揮ヒュファシス川の兵の拒否BC326年 · 折れた側スーサの集団結婚BC324年 · 主催ヘファイスティオンの死BC324年 · 悼んだアレクサンドロスの死BC323年6月10日(11日説あり) · 当人

本文

20歳で王位に就き、32歳で死んだ。

その12年で、 ギリシアからインダス川まで到達している。

会戦で負けなかった。

戦い方が一貫している。 決定的な一点に、自ら騎兵を率いて突っ込む。 何度も負傷し、一度は肺を矢で貫かれている。

征服の後の処置が、当時としては異例だった。

ペルシアの官僚をそのまま使い、 ペルシアの服装を取り入れ、 部下にペルシア女性との結婚を勧めた。

マケドニアの将軍たちは反発した。 親友クレイトスを、酒席の口論で刺し殺している。

20以上の都市を建てた。

死因は分かっていない。 熱病、毒殺、飲酒による膵炎。

後継者を定めなかった。