概要
アケメネス朝の王宮が焼かれた。事故か報復かで古代から説が分かれる。
場所
ペルセポリス
29.94°N 52.89°E · イラン・ファールス州
29.94°N 52.89°E · イラン・ファールス州
関わった人(1)
アレクサンドロス3世BC356年7月20日(21日説あり)–BC323年6月10日(11日説あり) · 当人本文
アケメネス朝の王宮が焼けた。
二つの説が、古代からある。
一つは、宴の席で酔って火を放ったという話になる。 アテナイの遊女タイスが、 ペルセポリスを焼いてペルシア戦争の報復をしようと煽った、と。
もう一つが、計画的な報復とする説になる。 アケメネス朝が終わったことを示す政治的な行為だった、と。
発掘では、火災の跡が広範囲にわたっている。 宝物庫が事前に運び出された形跡もある。
計画性を示すという見方の根拠になる。
焼けたことで、粘土板の文書が焼き固まって残った。 王宮で働いた人々への支払いの記録が、 何万枚も出土している。
女性の職人が、産休にあたる期間の 配給を受け取っていたことまで分かる。
出典(1)
ディオドロス 『歴史叢書』第17巻 72