概要
寡婦を夫の火葬の火に投じる慣習が法で禁じられた。外から野蛮だと言うのではなく、ヒンドゥーの経典がそれを求めていないと内側から論証する運動が先にあった。
場所
デリー
28.61°N 77.21°E · インド
28.61°N 77.21°E · インド
関わった人(1)
ラーム・モーハン・ローイAD1772年5月22日–AD1833年9月27日 · 論証と運動本文
夫の火葬の火に、寡婦が身を投じる。
サティー。
実際にどれほど行われたかは、地域と時代で大きく違う。
ベンガルで19世紀の初めに増えたという記録がある。
イギリスは介入を避けていた。
宗教への干渉と見なされることを恐れて。
ラーム・モーハン・ローイは、別の道を取った。
「野蛮だからやめろ」と外から言うのではない。
ヒンドゥーの経典を自分で読み直した。
ヴェーダにもマヌ法典にも、 寡婦が焼かれることを命じる箇所は無い。
むしろ寡婦の禁欲の生活を説いている、と。
内側からの論拠になる。
パンフレットを配り、署名を集め、 現場に立ち会って止めることもした。
1829年、ベンガル総督ベンティンクが法で禁じた。
反対派が枢密院に上訴し、彼はロンドンへ渡って反論した。
その旅の途中、ブリストルで死ぬ。