概要
ラサで蜂起が起き、鎮圧された。23歳の指導者はヒマラヤを越えてインドへ逃れ、以後亡命政府を率いる。8万人以上が続いた。
場所
ラサ
29.65°N 91.17°E · 中国・チベット自治区
29.65°N 91.17°E · 中国・チベット自治区
関わった人(1)
ダライ・ラマ14世AD1935年7月6日–? · 亡命本文
1950年に人民解放軍が入り、 1951年に十七か条協定が結ばれていた。
チベットの自治を認める、という内容になる。
東部のカムとアムドで、 土地改革と寺院の統制が進んだ。
抵抗が起き、難民がラサへ流れ込む。
1959年3月10日。
ダライ・ラマが軍の観劇に招かれた。
護衛なしで来るように、と言われた。
拉致されるという噂が広まり、 数万人が宮殿を取り囲んだ。
守るために。
数日後、砲撃が始まった。
3月17日の夜、ダライ・ラマは兵士の服を着て脱出した。
23歳。
ヒマラヤを14日歩いてインドに入る。
8万人以上が続いた。
ダラムサラに亡命政府が置かれる。
チベット側は数万人が死んだとし、 中国側は反乱の鎮圧としている。