← 地図で見る
Event / できごと

チベット動乱

1959 Tibetan uprising
AD1959年3月10日
重要度 4

概要

ラサで蜂起が起き、鎮圧された。23歳の指導者はヒマラヤを越えてインドへ逃れ、以後亡命政府を率いる。8万人以上が続いた。

場所

ラサ
29.65°N 91.17°E · 中国・チベット自治区

関わった人(1)

ダライ・ラマ14世AD1935年7月6日–? · 亡命

本文

1950年に人民解放軍が入り、 1951年に十七か条協定が結ばれていた。

チベットの自治を認める、という内容になる。

東部のカムとアムドで、 土地改革と寺院の統制が進んだ。

抵抗が起き、難民がラサへ流れ込む。

1959年3月10日。

ダライ・ラマが軍の観劇に招かれた。

護衛なしで来るように、と言われた。

拉致されるという噂が広まり、 数万人が宮殿を取り囲んだ。

守るために。

数日後、砲撃が始まった。

3月17日の夜、ダライ・ラマは兵士の服を着て脱出した。

23歳。

ヒマラヤを14日歩いてインドに入る。

8万人以上が続いた。

ダラムサラに亡命政府が置かれる。

チベット側は数万人が死んだとし、 中国側は反乱の鎮圧としている。

同じ時代のできごと

フリーダ・カーロの自画像AD1939年ノモンハン事件1939年5月第二次世界大戦1939年エニグマの解読AD1940年ホロコースト1941年真珠湾攻撃AD1941年12月7日ミッドウェー海戦1942年ガダルカナルの戦いAD1942年8月7日