概要
関東軍が中央の意向を無視して始め、ソ連の機械化部隊に敗れた。負けを負けとして扱わず、参加した参謀が処罰されずに次の作戦を立てていく。
場所
ノモンハン(ハルハ河畔)位置は特定されていない(誤差 ±40km)
47.73°N 118.60°E · モンゴル国・ドルノド県と中国・内モンゴルの境
47.73°N 118.60°E · モンゴル国・ドルノド県と中国・内モンゴルの境
本文
1939年5月、満洲国とモンゴル人民共和国の境界をめぐる小競り合いが始まった。 どこが国境かは、当事者のあいだで一致していなかった。
関東軍は、東京の参謀本部が不拡大を指示したにもかかわらず、 現地の判断で兵力を投入し続けた。 8月、ジューコフ指揮のソ連軍が機械化部隊で包囲し、日本側の第23師団はほぼ壊滅した。
死傷者は日本側で約1万8000人。 ソ連側の損害も同程度かそれ以上だったことが、後の資料で分かっている。
9月、独ソ不可侵条約の成立を受けて停戦した。
日本側で、この敗北は正面から検討されなかった。 現地で作戦を主導した参謀の一部は、責任を問われないまま中央へ戻り、 のちの作戦を立てている。 火力と補給の差という結論は、精神力で補えるという議論に置き換えられた。
『失敗の本質』はこの事件を第1章に置いた。 負けを負けとして扱えない組織は、そこから何も学べない。
出典(1)
戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』第1章 ノモンハン事件