概要
ほぼ未盗掘の王墓が見つかった。少年王が有名なのは、その治世ではなく墓が残ったため。
場所
テーベ
25.72°N 32.61°E · エジプト・ルクソール
25.72°N 32.61°E · エジプト・ルクソール
関わった人(1)
ツタンカーメンBC1341年頃–BC1323年頃 · 被葬者本文
ハワード・カーターは、6年探して何も見つけられずにいた。 出資者カーナヴォン卿が、これを最後にすると告げていた。
その最後の季節に、階段が出た。
封印された扉の穴から蝋燭を差し入れたとき、 「何か見えるか」と聞かれて 「はい、素晴らしいものが」と答えたと伝わる。
5000点以上の副葬品が出た。 黄金のマスク、椅子、戦車、 そして王の胎児だった二人の子のミイラ。
未盗掘に近かった理由は、 この王が小さく、墓も小さかったことになる。 後の時代に別の王の墓を掘った際の残土が、 入口を覆い隠していた。
「ファラオの呪い」の話は、新聞が作った。 カーナヴォン卿が数か月後に死んだことから広まったが、 発掘に関わった多くは長生きしている。
治世は短く、事績も乏しい。 それでも最も有名なファラオになった。 残ったかどうかで決まっている。