概要
168人のスペイン人が、数万の軍の目の前で皇帝を捕らえた。スペイン側の死者はいない。ダイアモンドはこの日を本の問いの出発点にする。
場所
カハマルカ
-7.16°N -78.50°E · ペルー・カハマルカ県
-7.16°N -78.50°E · ペルー・カハマルカ県
関わった人(2)
フランシスコ・ピサロAD1478年頃–AD1541年6月26日 · 指揮アタワルパAD1502年頃–AD1533年7月26日 · 捕らえられた本文
1532年11月16日、ピサロは168人でカハマルカの広場にいた。 アタワルパは数万の軍を町の外に置き、数千の従者を連れて広場に入った。 武器は持っていなかった。
修道士が聖書を差し出し、皇帝はそれを投げ捨てた、と伝わる。 それを合図に、隠れていた騎兵と砲が出た。 夕方までに数千人が死んだ。スペイン側に死者はいない。 皇帝は捕らえられた。
部屋一杯の金と、その倍の銀を身代金に払い、翌年に処刑された。
戦いと呼べるものではない。 それでも、この日を境にインカは頭を失った。
ダイアモンドは本の第3章をこの日に充てた。 なぜ168人が数万に勝てたのか。 馬、鉄の剣、鉄の甲冑、銃、文字で伝えられた情報、 そして既に病が皇帝と後継者を殺していたこと。 その一つ一つを遡っていくと、1万3000年前の植物と動物の分布に行き着く、 というのが本の筋になる。
出典(1)
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第3章 スペイン人とインカ帝国の激突