概要
セレウコス朝の大王アンティオコス3世が、ハンニバルを迎えていたことをローマは許さなかった。小アジアで7万の軍が破れ、アンティオコスはタウルス山脈の向こうへ引き、賠償金1万5000タラントを払った。東地中海の主が決まった。
場所
38.62°N 27.42°E · トルコ・マニサ
関わった人(1)
アンティオコス3世(大王)BC241年–BC187年 · 大王本文
アンティオコス3世。 セレウコス朝。 BC223年、 18歳で即位。 バクトリアと、 パルティアを、 回復した。 インドまで。 「大王」(メガス)。 BC200年、 パニオン。 プトレマイオスから、 パレスティナを取った。 BC196年、 小アジア。 BC195年、 ハンニバル。 カルタゴを、 追われて、 エフェソスへ。 「客」。 アンティオコスは、 ハンニバルに、 軍を、 任せなかった。 「私が、 アレクサンドロスの、 後継」。
BC192年、 ギリシアへ。 アイトリア同盟が、 呼んだ。 1万。 「ギリシアの、 解放者」。 フラミニヌスの、 言葉を、 ローマに向けて。 BC191年4月、 テルモピュライ。 ローマの執政官グラブリオと、 小カトー。 カトーが、 山道を、 回った。 ペルシア人と、 同じ道。 アンティオコスは、 逃げた。 500人で。 BC190年、 海。 ミュオンネソス。 ロドスと、 ローマの艦隊が、 勝った。 ハンニバルは、 別の海戦で、 負けた。 初めて。 ローマ軍が、 ヘレスポントスを、 渡った。 ヨーロッパから、 アジアへ。 初めて。 執政官ルキウス・コルネリウス・スキピオ。 アフリカヌスの兄。 アフリカヌスは、 「副官」として、 ついてきた。 病気で、 戦いには、 出なかった。
BC190年12月、 あるいはBC189年1月。 マグネシア。 シピュロス山の麓。 アンティオコス7万。 騎兵1万2000、 鎌付き戦車、 象54頭、 ラクダ、 ファランクス。 ローマ3万。 ペルガモンのエウメネス2世。 雨。 アンティオコスは、 右翼で、 ローマの左翼を、 押した。 陣まで。 その間に、 エウメネスが、 戦車を、 矢で、 狂わせて、 自軍の左翼を、 潰した。 ファランクスは、 象が、 中にいて、 動けなかった。 ローマの投槍。 象が、 狂った。 5万が、 死んだ、 とリウィウス。 誇張。 ローマは、 350。 誇張。
BC188年、 アパメア条約。 タウルス山脈の、 北と西を、 放棄。 艦隊は、 10隻。 象は、 全部。 賠償金、 1万5000タラント。 12年で。 ハンニバルを、 引き渡せ。 ハンニバルは、 逃げた。 クレタ、 アルメニア、 ビテュニア。 BC183年、 毒。 「ローマ人を、 長い不安から、 解放しよう。 老人の死を、 待てないようだから」。 アンティオコスは、 BC187年、 エリマイスの、 ベルの神殿を、 略奪して、 住民に殺された。 金を、 払うために。 小アジアは、 ペルガモンと、 ロドスに、 分けられた。 セレウコス朝は、 シリアだけに。 「東地中海に、 ローマに、 対抗できる、 国は、 なくなった」。 BC168年、 ピュドナ。 マケドニア。 最後。