概要
イギリスが飲む茶の代金として、銀が中国へ流れ続けた。その流れを逆にするために持ち込まれたのがアヘンになる。飲み物の習慣が、戦争の理由になった。
場所
広州
23.13°N 113.26°E · 中国・広東省
23.13°N 113.26°E · 中国・広東省
本文
17世紀の終わりから、イギリスは茶を飲みはじめた。 18世紀を通じて消費は増え続け、19世紀には国民の飲み物になる。
茶は中国でしか作られていなかった。 清は、外国との取引を広州の一港に限り、 公行という指定商人だけに扱わせた。
イギリスが売れるものは、ほとんど無かった。 毛織物は暑い南中国で売れず、時計は限られる。 代金は銀で払うしかない。 18世紀のあいだ、大量の銀が中国へ流れ続けた。
この流れを逆にする品が、19世紀に見つかった。 ベンガルで作らせたアヘンになる。 1820年代、銀の流れが逆転する。
清が取り締まりを強め、1839年に林則徐がアヘンを海に捨てた。 翌年、戦争になる。
飲み物の習慣が、戦争の理由になった。 そのあとイギリスは、茶の木そのものをインドへ移し、 アッサムとセイロンで自前の茶を作りはじめる。
出典(4)
フェルナン・ブローデル(村上光彦 訳) 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』第2巻 交換のはたらき
川北稔 『砂糖の世界史』第6章(砂糖入りの紅茶という習慣)
ウィリアム・バーンスタイン(鬼澤忍 訳) 『交易の世界史 シュメールから現代まで』第9章(茶とアヘン)
アンドレ・グンダー・フランク(山下範久 訳) 『リオリエント アジア時代のグローバル・エコノミー』第3章