概要
オスマンの前進がここで止まった。以後この帝国は退く側に回り、ヨーロッパの力関係が入れ替わる。
場所
ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア
48.21°N 16.37°E · オーストリア
本文
オスマン軍が2か月囲んだ。 城壁が崩れかけていた。
ポーランド王ヤン3世ソビエスキが率いる援軍が、 カーレンベルクの丘から降りてきた。
有翼騎兵(フサリア)を含む2万の騎兵が、 一斉に坂を駆け下りた。 史上最大級の騎兵突撃とされる。
包囲は解かれた。
これが分岐点になる。
以後、オスマンは退く側に回る。 16年後のカルロヴィッツ条約で、 ハンガリーの大半を失った。 オスマンが領土を割譲した最初の条約になる。
それまでの数世紀、この帝国は前進する側だった。 力関係が、ここで入れ替わる。
ヨーロッパの側では、 この勝利がキリスト教世界の防衛として語られ、 いまも政治的な文脈で引かれることがある。