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Event / できごと

ウィトルウィウス『建築十書』

De architectura
BC25年頃
年に諸説あり重要度 3

概要

古代から残った唯一の建築書。神殿の柱の様式、都市の計画、水道、時計、投石機。15世紀にザンクト・ガレンで写本が読み直され、ルネサンスの建築家がこれを手本にした。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(1)

ウィトルウィウスBC80年頃–BC15年頃 · 著者

本文

マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ。 カエサルの軍で投石機と攻城機を作った。 アウグストゥスの姉オクタウィアが年金を取り次いだ。 ファヌム(ファーノ)にバシリカを一つ建てたと自分で書く。 残っていない。

10巻。 建築家の教養、都市の選地と城壁、 材料、神殿と柱の様式、 公共建築、住宅、内装、 水道、日時計と水時計、機械。 「フィルミタス、ウティリタス、ウェヌスタス」。 強さ、用、美。

ドリス式は男の体の比例、 イオニア式は女の、 コリント式は少女の。 コリント式の起源は、少女の墓に置いた籠にアカンサスが絡んだのを 彫刻家カリマコスが見た、と。

第3巻。 人は臍を中心に手足を広げると円に収まり、 身長と両手の幅は等しくて正方形に収まる。 レオナルドが1490年頃にそれを描いた。 「ウィトルウィウス的人体図」。

アルキメデスが浴槽で「エウレカ」と叫んだ話も、 この本の第9巻にしか出てこない。

1414年、ポッジョ・ブラッチョリーニがザンクト・ガレンで写本を見つけた。 アルベルティが読んで『建築論』を書き、 1486年に印刷され、 1521年にイタリア語の図入りの版が出た。 パッラーディオもセルリオも、これで柱の比例を学んだ。 ローマの建物のほとんどが失われたあと、 その作り方だけが、この本で残った。

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