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Event / できごと

関羽の死と荊州の喪失

Death of Guan Yu
AD219年
重要度 4

概要

樊城を囲んで曹操を怯えさせた将軍が、背後を呉に突かれて捕らえられ、斬られた。蜀は荊州を失い、天下三分の計の前提が崩れる。

場所

樊城
32.04°N 112.14°E · 中国・湖北省襄陽市

関わった人(2)

関羽?–AD219年 · 斬られた孫権AD182年–AD252年 · 背後を突いた

本文

劉備が漢中を取った年、関羽は荊州から北へ攻めた。

樊城を囲む。

秋の長雨で漢水が溢れ、 救援に来た魏の軍を水没させた。

于禁が降伏し、龐徳が斬られた。

曹操は、許都から遷都を考えたと伝わる。

司馬懿が止めた。

呉を動かせ、と。

孫権は、荊州を欲しがっていた。

関羽は呉を軽んじていた。

孫権の縁談を「虎の子を犬の子にやれるか」と断った。

呂蒙が、白い服の商人を装って船を出し、 留守の江陵を無血で取った。

関羽の兵の家族が、そこにいた。

軍が崩れた。

麦城へ逃げ、捕らえられ、斬られた。

首は曹操に送られた。

曹操は諸侯の礼で葬った。

蜀は荊州を失う。

天下三分の計は、荊州と益州の二つから 中原を挟む構想だった。

その一つが消えた。

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