概要
内戦で弱っていたところを、200人足らずのスペイン人に崩された。
場所
クスコ
-13.53°N -71.97°E · ペルー
-13.53°N -71.97°E · ペルー
関わった人(2)
フランシスコ・ピサロAD1478年頃–AD1541年6月26日 · スペイン側 · 総指揮アタワルパAD1502年頃–AD1533年7月26日 · インカ側本文
ピサロが率いたのは180人足らずだった。 それで数百万人の帝国が崩れた。
理由は三つ挙げられる。
一つは内戦になる。 皇帝ワイナ・カパックが急死し、 二人の息子が争っていた。 その決着がついた直後に、スペイン人が着いた。
一つは病になる。 天然痘が、スペイン人本人より先に到達していた。 中米から陸伝いに南下していた。 ワイナ・カパックの急死も、これが原因とされる。 人口が既に大きく減っていた。
もう一つが、カハマルカでの奇襲になる。 皇帝アタワルパを会見の場で捕らえた。 インカの統治は皇帝に集中していたため、 頭を押さえられると全体が動かなくなる。
身代金として部屋を埋める金銀が集められ、 払われた後にアタワルパは処刑された。
抵抗はその後40年続いている。
出典(3)
インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ 『インカ皇統記』第1部
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第15章 科学と帝国の融合
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第18章 旧世界と新世界の遭遇