概要
昭帝が21歳で死に、霍光が甥の昌邑王を立てた。27日で1127の非行を数えて廃し、民間で育った皇曾孫を探して宣帝にした。臣下が皇帝を替えた最初になる。宣帝は霍光の車に同乗して「背中に針があるようだ」と言った。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
霍光?–BC68年 · 大将軍本文
武帝は死ぬ前に、8歳の昭帝を霍光に託した。 周公が成王を背負う絵を与えて。 霍光は13年、政治を執った。 昭帝は21歳で子がなく死んだ。
霍光は武帝の孫の昌邑王劉賀を立てた。 19歳。 即位して27日で、 「1127件の非行」を数えて廃した。 喪中に肉を食い、楽人を呼び、 先帝の宮女と通じ、 自分の従者200人を都に連れてきて官職に就けた。 本当の理由は、その200人だと考えられている。 王の側近が朝廷を取れば、霍光がいらなくなる。
皇太后(霍光の外孫、15歳)の名で廃した。 劉賀は昌邑に帰され、 のちに海昏侯に落とされた。 2011年、南昌でその墓が見つかった。 金が115キロ、銅銭が10トン、 『論語』の失われた篇の竹簡。
次の皇帝は、獄で育った皇曾孫。 戻太子の孫で、巫蠱の獄で生後数か月で獄に入れられ、 民間で育った。 霍光がこれを探して立てた。宣帝。 宣帝は霍光と同じ車に乗って高廟に詣で、 「背中に芒刺(針)があるようだった」と後で言った。
霍光が死んだあと、 一族が謀反を企て、皆殺しにされた。 宣帝は功臣の像を麒麟閣に描かせるとき、 霍光を第一に置き、姓を書かず「大司馬大将軍博陸侯、姓霍氏」とだけ書いた。 名を呼べない敬意と、名を消した怒りが、一緒になっている。