概要
公家と武家の文化が混ざり合った。明との通交で得た富がこれを支える。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
足利義満AD1358年–AD1408年 · 当人本文
足利義満が、北山に建てた。
三層で、一層目が寝殿造、 二層目が武家造、三層目が禅宗様。
公家、武家、禅の様式が、 一つの建物に積み重なっている。
義満自身が、その三つを兼ねようとした。 太政大臣になり、将軍であり、出家している。
明との貿易を始めた。 「日本国王」として朝貢の形を取っている。
その称号を受けたことは、 後世に「屈辱的だ」と批判された。 実利としては、莫大な利益があった。
その富が、この文化を支えた。
現在の建物は1955年の再建になる。 1950年に、寺の僧によって放火された。
三島由紀夫が、その事件を小説にした。