← 地図で見る
Event / できごと

ウィクリフの英語聖書

Wycliffe's Bible
AD1382年頃
年に諸説あり重要度 4

概要

オックスフォードの神学者が、ウルガタを英語に訳させた。教皇の権威を否定し、化体説を否定し、「貧しい司祭」を各地に送った。死後31年で異端とされ、骨が掘り出されて焼かれ、灰が川に流された。

場所

オックスフォード
51.75°N -1.26°E · イングランド

関わった人(1)

ジョン・ウィクリフAD1328年頃–AD1384年12月31日 · 神学者

本文

ウィクリフはラテン語で書いた。 英語の聖書を自分で訳したか、 弟子たちが訳したか、 分からない。 「ウィクリフ派の聖書」。 初期の版(1382年頃)は、ラテン語の語順のまま。 ニコラス・ヘリフォード。 後期の版(1395年頃)は、英語らしくなった。 ジョン・パーヴィー。 250以上の写本が残る。 中世英語の本で、最も多い。

『聖書の真理について』1378年。 「聖書はすべての真理を含む」。 「すべてのキリスト者は聖書を知るべきで、 それには母語で読むのが最も良い」。 教会は、俗人が聖書を読むことを禁じていなかったが、 訳すことは警戒した。 1407年、オックスフォード憲章。 「アランデルの憲章」。 許可なしに聖書を英語に訳すこと、 英語の聖書を読むことを禁じた。 異端として焼かれる罪。 1401年の「異端焼却法」で。

ウィクリフ自身。 「教会は選ばれた者の共同体」。 「教皇は反キリストでありうる」。 「聖職者が罪の状態にあれば、その財産は俗人が取り上げてよい」。 ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントは、 その最後の部分を気に入った。 1377年、ロンドンで審問、 公が同席して、暴動で流れた。 1381年、農民反乱。 ジョン・ボールが「ウィクリフの弟子」と言われた。 ウィクリフは反乱を非難した。 だが、ゴーントは離れた。 1382年、ロンドンの「地震会議」。 24の命題が異端と宣告された。 オックスフォードを追われ、 ラターワースの教区に。 1384年12月28日、ミサの途中で脳卒中。 31日に死んだ。

1415年、コンスタンツ。 フスと同じ公会議で、 ウィクリフを異端と宣告し、 骨を掘り出して焼くよう命じた。 1428年、リンカン司教が実行した。 灰はスウィフト川へ。 「スウィフトからエイヴォンへ、エイヴォンからセヴァーンへ、 セヴァーンから海へ、 ウィクリフの教えは世界中へ」。 トマス・フラー、17世紀。

同じ時代のできごと

ハウサ諸都市とカノAD11〜15世紀青水の戦いAD1362年明の成立AD1368年ティムール帝国の拡大1370年『歴史序説』AD1377年教会大分裂AD1378年クリコヴォの戦いAD1380年9月8日ワット・タイラーの乱AD1381年6月