概要
ワイタンギ条約の解釈と土地の売買をめぐって、27年断続的に戦われた。マオリは要塞(パー)を工夫して大砲に耐えたが、最後は土地の没収で押し切られる。
場所
アオテアロア位置は特定されていない(誤差 ±150km)
-41.29°N 174.78°E · ニュージーランド
-41.29°N 174.78°E · ニュージーランド
本文
ワイタンギ条約は、マオリ語版と英語版で意味が違った。 英語版は主権の譲渡と読め、マオリ語版は統治権の委任としか読めない。 土地の売買も、マオリ側は使用の許可と理解した例が多い。
1845年、北部でホネ・ヘケが旗竿を切り倒したのが最初の衝突になる。 以後27年、断続的に戦われた。
マオリは要塞(パー)を作り替えて対抗した。 大砲の弾を吸う土塁、砲撃をやり過ごす塹壕。 イギリス軍が世界各地で使う野戦築城の技術を、ここで学び直したとも言われる。
決着をつけたのは戦闘ではなく、法だった。 1863年のニュージーランド開拓地法で、反抗した部族の土地が没収された。 戦いに勝った場所でも、土地は失われた。
パイ・マリレ、そしてテ・フィティの非暴力の抵抗と続き、 1881年のパリハカで、無抵抗の村に1600人の兵が入る。
いま、条約の違反を審査するワイタンギ審判所が置かれ、 19世紀の没収について和解が進んでいる。