概要
南部の五つの部族が、法律で西へ移された。チェロキーは最高裁で勝訴したが、大統領が判決を無視した。移動の途中で4000人以上が死んでいる。
場所
ニュー・エコタ
34.54°N -84.91°E · アメリカ合衆国・ジョージア州(チェロキー国の首都跡)
34.54°N -84.91°E · アメリカ合衆国・ジョージア州(チェロキー国の首都跡)
本文
1830年、インディアン移住法が議会を通った。上院で1票差になる。
南部の五つの部族が対象になった。 チェロキー、クリーク、チカソー、チョクトー、セミノール。 どれも農耕を営み、文字を持ち、憲法を書き、新聞を出していた。 「文明化した五部族」と呼ばれていたのは、白人の側の基準に合わせていたからになる。
それでも土地は欲しがられた。ジョージアで金が出たのが決定的だった。
チェロキーは裁判で争い、1832年に最高裁で勝った。 連邦法が州法に優先し、部族の自治は認められる、という判決になる。 ジャクソン大統領は執行しなかった。
1838年、軍が家々を回って人を集め、柵の中に入れ、西へ歩かせた。 1000マイル。冬にかかった。 チェロキーだけで4000人以上が途中で死んだとされる。
移された先のオクラホマも、のちに白人の入植地として開かれる。
チェロキー語で、この移動は「我々が泣いた道」と呼ばれる。