概要
70歳を過ぎてからの仕事。安価な藍(ベロ藍)が入ってきたことが、あの青を可能にした。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(1)
葛飾北斎AD1760年–AD1849年5月10日 · 当人本文
北斎が70歳を過ぎてからの仕事になる。
版画は分業で作られる。 絵師が描き、彫師が板を彫り、摺師が色を重ねる。 一枚の絵に、少なくとも三人の職人が関わる。
あの青は、ベロ藍(プルシアンブルー)による。 18世紀初めにベルリンで偶然作られた人工の顔料で、 オランダ船と中国船を通じて日本に入った。
それまでの藍は、植物から取る露草の青で、 色が褪せやすく、値も張る。 ベロ藍は褪せず、安い。
1829年頃から錦絵に大量に使われるようになり、 その直後にこの連作が出た。
技術と交易が、表現の中身を変えている。 ヨーロッパで作られた顔料が、 日本で刷られた絵になり、 その絵がヨーロッパへ渡って印象派に影響した。
顔料が一周して戻ったことになる。