概要
ノルマンの傭兵の孫が、対立教皇から王冠を得て、パレルモでシチリア王になった。ギリシア人、アラブ人、ノルマン人、ユダヤ人の役人。アラビア語とギリシア語とラテン語の文書。イドリーシーに世界地図を作らせた。ヨーロッパで最も豊かで最も混ざった王国。
場所
38.12°N 13.36°E · イタリア・シチリア州
関わった人(1)
ルッジェーロ2世AD1095年12月22日–AD1154年2月26日 · 王本文
オートヴィル。ノルマンディーのコタンタン。タンクレード。12人の息子。 1035年から、南イタリアへ。傭兵。 ロベール・ギスカール。「狡猾」。アプーリアの公。1059年、教皇が認めた。 ルッジェーロ1世。末弟。1061年、シチリアへ。メッシーナ。1072年、パレルモ。1091年、全島。30年。「大伯」。 1101年、死んだ。息子シモーネ、それからルッジェーロ。1105年、10歳。母アデライデが摂政。 1112年、成人。パレルモ。 1127年、ギスカールの孫グリエルモが死んだ。アプーリアを継いだ。 1128年、教皇ホノリウス2世が認めた。 1130年、教皇が二人。インノケンティウス2世とアナクレトゥス2世。ルッジェーロはアナクレトゥスを選んだ。 9月27日、教書。「シチリア、カラブリア、アプーリアの王」。 12月25日、パレルモ。大聖堂。戴冠。 「王」。ノルマンの傭兵の孫が。 1139年、インノケンティウスを捕えて、認めさせた。ミニャーノ。 「教皇の封臣」。だが「使徒的遺産」。教皇の代理として自分の教会を治めた。 1140年、アリアーノの法。 1147年、アフリカ。トリポリ、マフディーヤ。「アフリカ王」。10年。 1149年、ギリシア。テーバイ、コリントス。絹の職人を連れてきた。 ディーワーン。財務。アラビア語。 ジョルジョ・ディ・アンティオキア。ギリシア人。「アミールの中のアミール」。海軍。マルトラーナ教会。ルッジェーロがキリストから冠を受ける絵。ビザンツの皇帝の型で。 イドリーシー。1154年。『ルッジェーロの書』。世界地図。銀の円盤。「遠くの土地の楽しみ」。ヨーロッパ、アフリカ、アジア。15年かけた。 パラティーナ礼拝堂。ビザンツのモザイク、アラブの木の天井、ノルマンの建築。 1154年2月26日。58歳。パレルモ。斑岩の棺。大聖堂。 グリエルモ1世「悪王」。グリエルモ2世「善王」。コスタンツァ。フリードリヒ2世。 「三つの言葉、三つの宗教、一つの王国」。 「中世で最も寛容な王国」と言われ、「実際は、支配者がラテン人で、ムスリムは減り続けた」とも。 1220年代、フリードリヒがムスリムをルチェーラに移した。1300年、消えた。 パレルモの王宮に、いまシチリア州議会。 ルッジェーロの間。狩りの絵。孔雀と豹と射手。