概要
第20回党大会の最終日、深夜、外国の代表を外して4時間。「個人崇拝」。粛清、拷問、追放、戦争の失敗。レーニンの遺言。代表は泣き、気絶した。「秘密」は3か月でCIAが手に入れて新聞に載った。ポーランドとハンガリーが動いた。中国が怒った。
場所
55.76°N 37.62°E · ロシア
関わった人(1)
ニキータ・フルシチョフAD1894年4月15日–AD1971年9月11日 · 報告本文
1956年2月14日から25日。第20回党大会。 「スターリン」の名を、誰も言わなかった。 「ポスペロフ委員会」。1955年12月から。「1937年から38年の弾圧の記録」。 2月9日、報告。「150万人が逮捕され、68万人が銃殺された」。 「大会で、言うか」。 モロトフ、ヴォロシーロフ、カガノヴィチ。「言うな」。 フルシチョフ。「言わなければ、いつか、我々が」。 2月25日。閉会のあと。「非公開」。外国の代表を外した。 1400人。 4時間。 「個人崇拝とその結果について」。 「レーニンの遺言。『スターリンは粗暴だ』」。 「キーロフ。1934年。『誰が』」。 「1937年から38年。第17回大会の代議員1966人のうち、1108人が逮捕された。中央委員139人のうち、98人が銃殺された」。 「拷問」。 「自白」。 「エイヘ。『私は、無実だ。骨を折られた』。銃殺」。 「ルジュターク」。 「戦争。『彼は、地球儀で、作戦を』」。「1941年。『レーニンが作った国を、我々は、失った』」。 「民族の追放。チェチェン、カルムイク、バルカル。『ウクライナ人は、多すぎて、追放できなかった』」。笑い。 「ユーゴスラヴィア。『私が指を動かせば』」。 「医師団事件。『彼は、私に、「お前が自白を取らなければ、お前の首が」』」。 「『短い伝記』。彼が、自分で、自分を褒める文を、書き足した」。 「レーニン賞を、スターリン賞に」。 「泣いた。倒れた。数人が心臓発作」。 「議論なし。決議なし」。 「党の会議で、読み上げる。非公開」。 「読まれた。全国で」。 「ポーランド。ユダヤ人のスパイが、コピーをイスラエルに。イスラエルがCIAに」。 「6月4日、ニューヨーク・タイムズ」。 「ポーランド。6月、ポズナン」。 「ハンガリー。10月」。 「中国。毛沢東。『彼は、スターリンを、全部、否定した。我々は、7割正しく、3割間違い』」。 「中ソ対立」。 「アルバニア」。 「西の共産党。フランス。イタリア。トリアッティ『多中心』」。 「1989年、ソ連で公開」。 「フルシチョフ。『私は、言わなければならなかった』」。 「彼自身が、ウクライナで、モスクワで、リストに署名していた」。 「彼は、それを、言わなかった」。 「言った側が、していた側だった」。 「それでも、言った」。