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Event / できごと

第一次ウィーン包囲

Siege of Vienna
AD1529年
重要度 4

概要

オスマン軍が中欧の入口まで達した。ヨーロッパがイスラム勢力を現実の脅威として意識する。

場所

ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア

関わった人(1)

スレイマン1世AD1494年–AD1566年 · オスマン側 · 総指揮

本文

オスマン軍がウィーンに達した。

包囲は3週間ほどで解かれた。

理由は季節になる。 イスタンブールからウィーンまで、遠すぎた。 出発が春、到着が秋では、 冬を越す準備ができない。

雨で道がぬかるみ、 攻城用の重砲を運べなかったことも大きい。

軍事的には失敗だが、 ヨーロッパへの衝撃は大きかった。

ルターは、この脅威を 神が罪深いキリスト教徒に下した罰だと書いている。 そのうえで、戦うことは正当だとも書いた。

コーヒーとクロワッサンがこの包囲に由来するという話は、 どちらも後世の作り話になる。

154年後、同じ都市がもう一度囲まれる。 そのときが、この帝国の前進の終わりになる。

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