概要
オスマン軍が中欧の入口まで達した。ヨーロッパがイスラム勢力を現実の脅威として意識する。
場所
ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア
48.21°N 16.37°E · オーストリア
関わった人(1)
スレイマン1世AD1494年–AD1566年 · オスマン側 · 総指揮本文
オスマン軍がウィーンに達した。
包囲は3週間ほどで解かれた。
理由は季節になる。 イスタンブールからウィーンまで、遠すぎた。 出発が春、到着が秋では、 冬を越す準備ができない。
雨で道がぬかるみ、 攻城用の重砲を運べなかったことも大きい。
軍事的には失敗だが、 ヨーロッパへの衝撃は大きかった。
ルターは、この脅威を 神が罪深いキリスト教徒に下した罰だと書いている。 そのうえで、戦うことは正当だとも書いた。
コーヒーとクロワッサンがこの包囲に由来するという話は、 どちらも後世の作り話になる。
154年後、同じ都市がもう一度囲まれる。 そのときが、この帝国の前進の終わりになる。