概要
民主化を求める学生らに軍が投入された。ベルリンの壁が開く5か月前の出来事になる。
場所
北京
39.90°N 116.41°E · 中国
39.90°N 116.41°E · 中国
関わった人(1)
ケ小平AD1904年8月22日–AD1997年2月19日 · 当時の最高実力者本文
胡耀邦の死を悼む集まりから始まり、 数週間で広場を埋める規模になった。 求めたのは、汚職の追及と、報道の自由と、対話だった。
学生だけではない。 労働者も、記者も加わっている。 北京の記者たちが「本当のことを書かせろ」と掲げて歩いた。
6月3日から4日にかけて、軍が投入された。 死者の数は分かっていない。 数百から数千まで、推計に幅がある。 中国国内では、いまも公に語ることができない。
同じ年の11月にベルリンの壁が開いた。 東欧では体制が次々に倒れ、中国では倒れなかった。 分かれ目がどこにあったのかは、 いまも比較の対象として論じられる。
出典(1)
フランシス・フクヤマ(渡部昇一 訳) 『歴史の終わり』第2部(それでも残る問い)