概要
晋の皇帝が暗愚で、皇后賈氏が皇太后の一族を殺し、皇族が皇后を殺し、皇族同士が16年殺し合った。匈奴と鮮卑の兵を雇って戦い、その兵が国を取る。五胡十六国はここから始まる。
場所
洛陽
34.62°N 112.45°E · 中国・河南省
34.62°N 112.45°E · 中国・河南省
本文
武帝司馬炎は、魏が皇族を弱くして倒れたと考えて、 皇族を王に封じ、兵を持たせた。 それが逆に働いた。
290年、武帝が死に、恵帝が立った。 知恵の遅い皇帝で、 飢饉で民が死んでいると聞いて「なぜ肉粥を食べないのか」と言った。 皇后の賈南風が、 291年、外戚の楊駿を殺し、 汝南王亮と楚王瑋を互いに殺させ、 300年、皇太子を殺した。 趙王倫が賈后を殺し、 翌年、恵帝を廃して自ら帝位に就いた。 斉王冏、成都王穎、河間王顒が趙王倫を殺し、 斉王が長沙王乂に殺され、 長沙王が東海王越に捕えられて焼き殺され、 成都王と河間王が東海王と戦い、 306年、東海王越が勝った。 恵帝は餅を食べて死んだ。毒とされる。 八王のうち、生き残ったのは越だけだった。
16年。 その間に、王たちは匈奴、鮮卑、烏桓の兵を雇った。 成都王穎は匈奴の劉淵を将にした。 劉淵は304年に離れて、漢王を称した。 五胡十六国の最初の国。 311年、その子の劉聡が洛陽を落とす。
東海王越は311年、石勒に追われて病死し、 その遺体の車列が追いつかれ、 石勒は10万の兵と貴族を殺して、 越の棺を焼いた。 「天下を乱した者を、天に代わって焼く」。
『晋書』は言う。 「八王が争い、中原は荒れ、 王朝は南へ逃げた」。 中国の北半分が漢人の王朝でなくなる270年が、ここから始まる。