概要
川底に杭を沈め、引き潮で元の艦隊を座礁させた。大越はモンゴルを三度退けている。
場所
白藤江位置は特定されていない(誤差 ±15km)
20.92°N 106.75°E · ベトナム北部
20.92°N 106.75°E · ベトナム北部
関わった人(1)
陳興道AD1228年頃–AD1300年 · 大越側 · 総指揮本文
350年前と同じ方法が使われた。
川底に杭を沈め、引き潮で元の艦隊を座礁させる。
陳興道が指揮した。
大越は、モンゴルの侵攻を三度退けている。
一度目と二度目は、 都を捨てて退き、補給を断つ戦い方を取った。 清野の策と呼ばれる。
熱帯の気候と疫病も、侵攻側を苦しめた。
三度目のこの戦いで、 補給船団が壊滅し、元は撤退する。
戦った後、朝貢の形を受け入れた。 形式上は服属し、実質の独立を保つ。
その使い分けが、 この地域の対中国関係の型になる。
陳興道の書いた檄文が、 いまもベトナムで読まれている。