概要
高句麗が滅びて30年、その遺民と靺鞨が満洲東部に国を建てた。唐の制度と文字を写し、日本へ34回使節を送る。「海東の盛国」と呼ばれた。
場所
上京竜泉府
44.12°N 129.17°E · 中国・黒竜江省寧安市
44.12°N 129.17°E · 中国・黒竜江省寧安市
関わった人(1)
大祚栄?–AD719年 · 建国本文
高句麗が唐に滅ぼされたのは668年。 遺民は営州(いまの朝陽)に移された。
696年に契丹が営州で反乱を起こし、その混乱の中で 大祚栄が遺民と靺鞨の集団を率いて東へ逃げた。 唐の追撃軍を天門嶺で破り、698年に東牟山に国を建てる。
初め震国と名乗り、713年に唐から渤海郡王に封じられて渤海になった。 唐の三省六部を写し、都に朱雀大路を通し、漢字で公文書を書いた。 日本へは727年から34回、使節を送っている。 新羅を挟んだ海の向こうの相手として、日本はこれを厚く迎えた。
上京龍泉府の跡は、いまの中国黒竜江省寧安にある。 外城の周囲は16キロ。唐の長安を小さくした形をしている。