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Event / できごと

カルバラーの悲劇

Battle of Karbala
AD680年10月10日
重要度 5

概要

預言者の孫フサインが、72人の一行でクーファへ向かう途中、ウマイヤ朝の軍に囲まれ、水を断たれ、殺された。首はダマスクスに送られた。シーア派はこの日を毎年、胸を打って悼む。

場所

カルバラー
32.62°N 44.02°E · イラク

関わった人(1)

フサイン・イブン・アリーAD626年–AD680年10月10日 · 殺された

本文

680年4月、ムアーウィヤが死んで、 息子のヤズィードがカリフになった。 メディナのフサインは忠誠を拒み、メッカへ移った。 クーファから手紙が来た。 アリーの支持者の街から。 「我々には指導者がいない、来てくれ」。 従弟のムスリム・イブン・アキールを先に送った。 1万8000人が忠誠を誓った、と手紙が来た。

だがクーファの新しい総督ウバイドゥッラーが着くと、 街は怖れて散り、ムスリムは捕えられて屋根から落とされた。 フサインはそれを知らずに、 家族と従者72人で、9月にメッカを出た。

砂漠でフルの1000騎に止められ、 クーファに入ることも、戻ることもできず、 ユーフラテスのほとりのカルバラーで陣を張った。 10月2日。 ウマル・イブン・サアドの4000が来て、 7日、川から遠ざけられ、水を断たれた。

10月10日、ムハッラム月10日、アーシューラー。 フサインは一人ずつ出て戦わせた。 兄弟、甥、息子。 生後6か月の息子アリー・アスガルを抱いて水を乞い、 矢で射られた。 最後にフサインが出て、 33の傷を受けて、シムルに首を斬られた。 体は馬に踏まれ、 首はダマスクスのヤズィードに届けられた。 ヤズィードは杖で首の歯を突いた、と伝わる。 生き残った女たちと、病んでいた息子アリー(ザイヌル・アービディーン)が ダマスクスに連れて行かれ、 妹ザイナブがヤズィードの宮廷で演説した。

シーア派はこの日を毎年、悼む。 胸を打ち、鎖で背中を打ち、 タアズィエという受難劇で演じ直す。 「毎日がアーシューラー、すべての土地がカルバラー」。 1979年のイランでは、その言葉が革命の言葉になった。

カルバラーの墓廟には、いまも毎年数百万が集まる。 イラン・イラク戦争でも、 サッダームの時代でも、 そこへ歩いて行く人は止まらなかった。

同じ時代のできごと

百済の滅亡AD660年ウマイヤ朝の成立AD661年白村江の戦いAD663年ウィットビー教会会議AD664年近江大津宮への遷都AD667年高句麗の滅亡AD668年義浄のシュリーヴィジャヤ滞在AD671年壬申の乱AD672年