概要
ナツメグの木が世界でここにしか無かった。オランダ東インド会社が独占のために島民1万5000人のほとんどを殺すか奴隷にし、空いた土地に農園を作った。
場所
バンダ諸島位置は特定されていない(誤差 ±30km)
-4.53°N 129.90°E · インドネシア・マルク州
-4.53°N 129.90°E · インドネシア・マルク州
本文
ナツメグとメースは、17世紀初めの世界でバンダ諸島にしか実らなかった。 面積を合わせても、東京23区ほどの小さな島々になる。
住民は数千年、この実を交易で売って暮らしていた。 複数の相手と取引するのが当然で、 オランダが要求した独占の契約は、彼らの慣行に無い考え方だった。
1621年、総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンが艦隊で来た。 抵抗した村を焼き、有力者を日本人傭兵に処刑させ、 島の人口1万5000人を、殺すか、飢えさせるか、奴隷として運び出した。 生き残ったのは1000人に満たないとされる。
空いた島は区画に分けられ、オランダ人に払い下げられた。 連れてこられた奴隷が、そこでナツメグを作った。
以後200年、ナツメグの値はアムステルダムで決まる。 供給を絞るために、余った実は焼かれた。
1667年の条約で、オランダはバンダの一島ラン島を確保する代わりに、 イギリスに北米のある島を渡した。マンハッタンになる。
出典(1)
ウィリアム・バーンスタイン(鬼澤忍 訳) 『交易の世界史 シュメールから現代まで』第7章(香辛料をめぐる暴力)