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Event / できごと

バンダ諸島の虐殺と香辛料の独占

The Banda massacre
AD1621年
重要度 5

概要

ナツメグの木が世界でここにしか無かった。オランダ東インド会社が独占のために島民1万5000人のほとんどを殺すか奴隷にし、空いた土地に農園を作った。

場所

バンダ諸島位置は特定されていない(誤差 ±30km)
-4.53°N 129.90°E · インドネシア・マルク州

本文

ナツメグとメースは、17世紀初めの世界でバンダ諸島にしか実らなかった。 面積を合わせても、東京23区ほどの小さな島々になる。

住民は数千年、この実を交易で売って暮らしていた。 複数の相手と取引するのが当然で、 オランダが要求した独占の契約は、彼らの慣行に無い考え方だった。

1621年、総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンが艦隊で来た。 抵抗した村を焼き、有力者を日本人傭兵に処刑させ、 島の人口1万5000人を、殺すか、飢えさせるか、奴隷として運び出した。 生き残ったのは1000人に満たないとされる。

空いた島は区画に分けられ、オランダ人に払い下げられた。 連れてこられた奴隷が、そこでナツメグを作った。

以後200年、ナツメグの値はアムステルダムで決まる。 供給を絞るために、余った実は焼かれた。

1667年の条約で、オランダはバンダの一島ラン島を確保する代わりに、 イギリスに北米のある島を渡した。マンハッタンになる。

出典(1)

ウィリアム・バーンスタイン(鬼澤忍 訳) 交易の世界史 シュメールから現代まで第7章(香辛料をめぐる暴力)

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