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Event / できごと

ハドソン湾の発見と遭難

Hudson's last voyage
AD1611年6月
重要度 3

概要

北西航路を探して湾に入り、氷に閉じ込められて越冬した。春、船員が反乱して、ハドソンと息子と病人7人を小舟に乗せて置き去りにした。二度と見つからなかった。湾も川も海峡も、その名になった。

場所

ハドソン湾
58.00°N -86.00°E · カナダ

関わった人(1)

ヘンリー・ハドソンAD1565年頃–AD1611年頃 · 船長

本文

4度目。 1610年4月17日、 ロンドン。 「ディスカヴァリー」号。 55トン、 23人。 息子ジョン、 ロバート・ジュエット、 ヘンリー・グリーン。 グリーンは、 ハドソンが街で拾った男。 「無頼」。

北へ。 アイスランド、 グリーンランド、 ラブラドル。 6月、 「ハドソン海峡」。 氷。 8月2日、 海峡を抜けた。 広い海。 「太平洋だ」。 南へ。 西の岸。 南の岸。 ジェームズ湾。 行き止まり。 9月、 10月。 ジュエットが、 「戻ろう」。 ハドソンは、 ジュエットを航海士から外した。 11月1日、 氷。 越冬。 食糧。 「鳥を撃った」。 1200羽。 壊血病。 凍傷。 砲手が死んだ。 ハドソンは、 その遺品を、 グリーンに与えた。 ジュエットが怒った。

1611年6月12日、 氷が割れた。 6月18日、 ハドソンが、 「食糧を分ける」。 一人に、 チーズ1ポンド。 「ハドソンは、 隠している」。 6月22日、 夜明け。 ジュエット、 グリーン、 ウィリアム・ウィルソン。 ハドソンを、 小屋から引き出して、 縛った。 息子ジョン。 病人7人。 「小舟に」。 シャルップ。 マスケット銃1丁、 火薬、 鉄の鍋、 穀物少し。 大工のフィリップ・スタッフが、 「私も乗る」。 乗った。 9人。 ディスカヴァリーは帆を上げ、 小舟は、 追って、 遅れて、 消えた。

グリーンは、 帰る途中、 イヌイットに殺された。 ウィルソンも。 ジュエットは、 飢えて死んだ。 帰り着いたのは8人。 1611年9月。 ロバート・バイロット。 アバクック・プリケット。 「反乱の記録」。 プリケットが書いた。 自分は反乱に加わっていない、と。 裁判は、 1618年。 7年後。 4人が、 海賊行為で。 無罪。 「反乱の首謀者は、 みな死んでいた」。 生き残りは、 湾を知っていた。 「北西航路の、 証人」。 殺せなかった、 と言う人もいる。

ハドソンと、 8人。 何も見つからなかった。 1631年、 トマス・ジェームズが、 ジェームズ湾で、 杭を見つけた。 「英国人の作ったもの」。 それだけ。 1670年、 ハドソン湾会社。 「北アメリカの、 最も古い会社」。 いまも、 デパートを。

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