概要
「世界の半分」と讃えられた都。シーア派がイランの国家宗教として定まり、いまに続く。
場所
イスファハーン
32.65°N 51.67°E · イラン(サファヴィー朝の都)
32.65°N 51.67°E · イラン(サファヴィー朝の都)
関わった人(1)
アッバース1世AD1571年1月27日–AD1629年1月19日 · 当人本文
アッバース1世が都を移し、大規模に造り直した。
中心に巨大な広場(ナクシェ・ジャハーン)を置いた。 南にモスク、東に王族のモスク、 西に宮殿、北に市場。 一つの広場に、宗教と政治と商業が面する。
「イスファハーンは世界の半分」という言い回しが生まれた。
もう一つ、この王朝がやったのが宗教の確定になる。
イランは、それまで多数がスンナ派だった。 サファヴィー朝がシーア派(十二イマーム派)を国教とし、 数世代かけて浸透させた。
レバノンなどから法学者を招いて、 体系を整えている。
これが、いまのイランがシーア派の国であることの由来になる。 西のオスマン(スンナ派)との違いが、 国境の意味を持つようになった。
アルメニア人商人を強制的に移住させ、 絹の交易を担わせた。 その居住区(新ジョルファー)が、いまも残る。