概要
足りないことに美を見出す作法として茶の湯を整えた。権力者と美意識の緊張が、切腹に終わる。
場所
大坂
34.69°N 135.53°E · 日本・大阪府
34.69°N 135.53°E · 日本・大阪府
関わった人(2)
千利休AD1522年–AD1591年 · 当人豊臣秀吉AD1537年–AD1598年 · 庇護し、そして死を命じた本文
千利休が、茶の湯を「侘び」として整えた。
それまでの茶は、 唐物の高価な道具を並べて見せるものだった。
利休は逆をやった。
狭い茶室。二畳。 にじり口という低い入口。 刀を外し、身をかがめないと入れない。
道具も、名物ではなく 日常の雑器や、 自分で作らせた黒い茶碗を使う。
足りないことに美を見出す。
同時に、それは高度に作り込まれた「足りなさ」になる。 自然のままではない。
秀吉に仕え、政治の場でも重んじられた。
そして切腹を命じられる。 理由は、大徳寺の山門に自分の像を置いたこと、 茶器を高く売ったこと、と伝えられるが、 本当の理由は分かっていない。
権力と美意識の緊張が、そこにある。