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Event / できごと

本能寺の変

Honnō-ji Incident
AD1582年6月21日
重要度 5

概要

統一を目前にして家臣の明智光秀に討たれた。動機はいまも定まらない。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(2)

織田信長AD1534年–AD1582年6月21日 · 当人豊臣秀吉AD1537年–AD1598年 · この後に台頭する

本文

明智光秀が、京都の本能寺にいた信長を襲った。

信長の手勢はわずかだった。 天下統一を目前にして、油断があったとされる。

寺に火が放たれ、遺体は見つからなかった。

動機が分かっていない。

怨恨説、野望説、朝廷の関与説、 足利義昭の指示説、 そして四国政策の転換をめぐる説。

近年は、四国の長宗我部氏との関係を 重く見る説が有力になっている。 光秀が担当していた交渉が、 信長の方針転換で崩れた。

11日後、光秀は秀吉に敗れて死ぬ。

備中から京都まで、 秀吉は10日足らずで戻った。 「中国大返し」と呼ばれる。

その速さも、事前に知っていたのではないかという 憶測を生んでいる。

動画(1)

「義弟が裏切った?ハッハッハ、またまたご冗談を。・・・。マジ?」信長包囲網で大ピンチ!【COTEN RADIO #193】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOなぜ光秀が裏切ったのか、諸説を並べている

出典(1)

太田牛一 信長公記巻15

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