概要
セルジューク朝がビザンツ皇帝を捕虜にした。アナトリアがテュルクの土地になりはじめ、十字軍を呼ぶ遠因になる。
場所
マンジケルト
39.14°N 42.54°E · トルコ・ムシュ県マラズギルト
39.14°N 42.54°E · トルコ・ムシュ県マラズギルト
関わった人(1)
アルプ・アルスラーンAD1029年頃–AD1072年 · セルジューク側 · 総指揮本文
皇帝ロマノス4世が捕虜になった。
戦闘そのものより、 その後の内部分裂のほうが影響した。
戦場で、有力貴族の指揮する部隊が 戦わずに退いている。
セルジューク朝のスルタン、アルプ・アルスラーンは、 捕らえた皇帝を丁重に扱い、条件を付けて解放した。
帰った皇帝は、都で廃位され、 目を潰されて死んだ。
以後、帝位をめぐる内戦が続く。 その隙に、テュルク系の集団がアナトリアへ入った。
アナトリアは、それまで帝国の兵力と税収の中心だった。 そこを失う。
20年後、皇帝アレクシオス1世が 西方へ傭兵の派遣を求める。
その要請が、十字軍の呼びかけへ変わっていく。
出典(1)
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第57章