概要
関羽の仇を討とうと劉備が呉を攻め、陸遜が火攻めで破った。劉備は白帝城で死に、諸葛亮に子を託す。三国の形が、ここで固まった。
場所
夷陵位置は特定されていない(誤差 ±km)
30.70°N 111.30°E · 中国・湖北省宜昌市
30.70°N 111.30°E · 中国・湖北省宜昌市
関わった人(2)
劉備AD161年–AD223年 · 敗れた陸遜AD183年–AD245年 · 火攻め本文
関羽が斬られて2年。
劉備は皇帝を称したばかりだった。
呉を攻めると言った。
諸葛亮も趙雲も止めた。
敵は魏だ、と。
聞かなかった。
長江を下り、夷陵まで進んで、 山沿いに700里の陣を連ねた。
夏になった。
陸遜は、半年動かなかった。
老将と若い将が、なぜ戦わないと責めた。
蜀の兵が疲れ、暑さで陣を森の中に移した。
そこで火をつけた。
風が吹いた。
40の陣が一夜で燃えた。
劉備は白帝城へ逃げた。
翌年、そこで死ぬ。
諸葛亮を呼んで言った。
「我が子が補佐に足るなら補佐せよ。 足らぬなら、君が取れ」。
諸葛亮は泣いて、忠を誓った。
呉と蜀は、その年のうちに再び結ぶ。
魏に対して。
三国の形が、ここで固まった。