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Event / できごと

川中島の戦い

Battles of Kawanakajima
AD1561年10月18日(永禄4年9月10日)
重要度 5

概要

信濃の北、千曲川と犀川の間で、武田信玄と上杉謙信が12年に5回戦った。1561年の4回目が最大。信玄は啄木鳥の戦法で別働隊を回し、謙信は霧の中で先に山を下りて本陣を突いた。謙信が単騎で信玄に斬りつけ、信玄が軍配で受けた、と伝える。両軍で数千が死に、どちらも勝たなかった。

場所

川中島
36.61°N 138.19°E · 長野県長野市

関わった人(2)

武田信玄AD1521年12月1日–AD1573年5月13日 · 軍配で受けた上杉謙信AD1530年2月18日–AD1578年4月19日 · 斬りつけた

本文

信濃の北、千曲川と犀川が合う三角の平野。武田信玄が信濃を南から取り、上杉謙信が越後から見ていた。信濃の豪族(村上義清など)が謙信を頼った。

1553年、1555年、1557年、1561年、1564年。5回。大きな戦いは1561年の4回目だけで、他はにらみ合いだった。

1561年8月、謙信は1万3000で妻女山に陣を置いた。信玄は2万で海津城。膠着。9月9日、信玄の軍師山本勘助(実在は確か、軍師かは怪しい)が献策した、と『甲陽軍鑑』は言う。別働隊1万2000が夜に妻女山を襲い、逃げてくる上杉を本隊8000が八幡原で待つ。啄木鳥が木を叩いて虫を出すように。

謙信は海津城の炊煙の多さで察し、夜のうちに山を下りて、霧の中で千曲川を渡った。9月10日の朝、霧が晴れると、武田の本隊8000の前に上杉1万3000が全部いた。車懸りの陣。武田は崩れ、信玄の弟信繁が死に、勘助が死んだ。謙信が単騎で本陣に入り、床几の信玄に3太刀斬りつけ、信玄が軍配で受けた。「三太刀七太刀」。一騎討ちの話は『甲陽軍鑑』と江戸の講談で、確かでない。

昼、武田の別働隊が戻って挟撃し、上杉が退いた。武田の死者4000、上杉3000、と言う。両方が勝ったと言った。信玄は信濃を取り、謙信は越後を守った。

信玄と謙信は、どちらも上洛できないまま死んだ。信玄は1573年、謙信は1578年。信長がその間に京にいた。川中島は、5回で、何も決めなかった。

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