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Event / できごと

トレント公会議

Council of Trent
AD1545年12月13日
重要度 5

概要

ルターから28年遅れて、カトリックが答えを出した。18年、3期、25回の会議。義認は信仰と行いで、聖書とともに伝統も、ウルガタが正典、七つの秘蹟、司教は自分の教区に住め。以後400年、カトリックの形はこれだった。

場所

トレント
46.07°N 11.12°E · イタリア

本文

1517年から、 28年。 ルターは、 最初から、 「公会議を」と言った。 皇帝も。 教皇は、 嫌った。 コンスタンツ。 バーゼル。 「公会議は、 教皇の上」。 1536年、 パウルス3世が、 マントヴァに、 召集した。 開けなかった。 フランスとの戦争。 1545年12月13日、 トレント。 帝国の中の、 イタリア語の街。 司教領。 「ドイツと、 イタリアの間」。 司教、 31人。 少なかった。 ドイツからは、 ほとんど、 来なかった。 ルター派は、 1552年に、 一度、 来た。 発言を、 求めた。 「聖書だけで、 論じる」。 拒まれた。

三期。 1545年から1547年。 1551年から1552年。 1562年から1563年。 教皇が三人。 パウルス3世、 ユリウス3世、 ピウス4世。 途中で、 ボローニャへ。 ペスト。 皇帝が怒った。 中断。 再開。 中断。 再開。 25回の会議。

第4会議、 1546年4月8日。 「聖書と、 伝統」。 「書かれたものと、 書かれていない伝統を、 同じ敬虔さで」。 ウルガタ。 「正典」。 外典を含む。 「教会だけが、 聖書を解釈する」。 第6会議、 1547年1月13日。 義認。 「信仰のみ」ではなく。 「信仰と、 希望と、 愛」。 「人は、 恩寵に、 協力できる」。 「善き業は、 功徳がある」。 「ルターは、 異端」。 名前は、 出さなかった。 第7会議、 秘蹟。 七つ。 「洗礼、 堅信、 聖体、 告解、 終油、 叙階、 婚姻」。 第13会議、 1551年。 化体。 「実体変化」。 「トランスブスタンティアティオ」。 第22会議、 1562年。 ミサは、 犠牲。 第23会議、 1563年。 司教は、 自分の教区に、 住め。 神学校を、 建てよ。 「セミナリウム」。 第25会議、 1563年12月4日。 煉獄、 聖人、 聖像、 免償。 「乱用を、 正す」。 免償の、 販売を、 禁じた。 禁書目録。 1564年。 「トレント信仰宣言」。 ピウス4世。 1566年、 ローマ・カテキズム。 1568年、 聖務日課。 1570年、 ローマ・ミサ典書。 「トリエント・ミサ」。 1962年まで。 ラテン語で、 司祭が、 壁に向かって。 2007年から、 また、 許された。

「反宗教改革」。 19世紀の言葉。 「カトリック改革」。 20世紀の言葉。 「トレント」は、 プロテスタントに、 答えた。 「カトリックは、 何を、 信じるか」。 ルターの前は、 はっきり、 決まっていなかった。 決めた。 以後、 400年。 1962年、 第二ヴァチカン公会議。 「トレントを、 変えない」。 「トレントを、 終えた」。 両方、 言われる。

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