概要
イギリスと独立の約束を取り付け、少数民族と連邦制で合意した指導者は、その半年前に閣議の最中に暗殺されていた。パンロンの約束は守られず、いまも紛争が続く。
場所
ヤンゴン(ラングーン)
16.84°N 96.17°E · ミャンマー
16.84°N 96.17°E · ミャンマー
関わった人(1)
アウンサンAD1915年2月13日–AD1947年7月19日 · その半年前に暗殺された本文
アウンサンは、日本軍と組んで戻り、 日本が独立を与える気が無いと分かって寝返った。
戦後、イギリスと交渉した。
1947年1月、アトリー首相と合意する。
1年以内の独立。
2月、パンロンで少数民族の代表と会議を開いた。
シャン、カチン、チン。
連邦制で自治を保障し、 10年後に離脱の権利を認める。
その合意で、国がまとまるはずだった。
7月19日、閣議の最中に武装した一団が入り、 アウンサンと閣僚6人が射殺された。
32歳。
1948年1月4日、独立した。
日の出の時刻を占って決めた、と伝わる。
パンロンの約束は守られなかった。
離脱の権利は憲法から実質的に消え、 少数民族との紛争がその年のうちに始まる。
いまも続いている。