概要
キュロスの息子がペルシウムでファラオを破り、エジプトを取った。ヘロドトスは彼が聖牛アピスを刺し、王の墓を暴き、狂ったと書く。エジプトの碑文は彼をファラオの名で刻む。砂漠で5万の軍が消えたという話は、いまも探されている。
場所
31.04°N 32.54°E · エジプト・シナイ半島
関わった人(1)
カンビュセス2世?–BC522年 · 王本文
BC530年、キュロスが死んだ。マッサゲタイとの戦いで。長子カンビュセス。 エジプト。第26王朝。サイス。アマシス。44年。ギリシアの傭兵。ポリュクラテスと同盟。 ヘロドトス。「カンビュセスはアマシスの娘を求めた。アマシスは前王の娘を送った。娘が『私はアプリエスの娘』と言い、カンビュセスが怒った」。理由の一つ。 BC526年、アマシスが死んだ。プサンメティコス3世。6か月。 ハリカルナッソスのファネス。アマシスの傭兵隊長がペルシアに寝返って砂漠の道を教えた。アラブ人が水を運んだ。 BC525年、ペルシウム。デルタの東。 「エジプトの傭兵がファネスの息子たちを陣の前で殺し、血を混ぜた酒を飲んで戦った」。 ペルシアが勝った。メンフィス。10日。プサンメティコスは捕えられ、娘が水汲みに、息子が処刑に引かれるのを見て泣かず、乞食になった友人を見て泣いた。「私の家の不幸は泣くには大きすぎる」。 処刑された。「反乱を謀った」。 リビアとキュレネが降った。 カルタゴへ。フェニキア人が「自分の子供を攻めない」と拒んだ。 ヌビアへ。「長命のエチオピア人」。食糧が尽き、10人に1人を食べた。帰った。 シワのアモンへ。5万。砂嵐。消えた。「アモンの神託を壊しに行った軍が砂に埋まった」。2009年にイタリアの兄弟が骨と武器を「見つけた」と言い、否定された。まだ探されている。 メンフィスに帰ると祭りをしていた。アピス。聖牛。「私の敗北を祝っているのか」。剣で牛の腿を刺した。牛が死んだ。それから狂った。 弟スメルディスを殺させた。妹を妻にして殺した。「子犬と獅子の子を戦わせて、妹が泣いた」。プレクサスペスの息子を矢で射て「私は狂っていない」。 アマシスのミイラを掘り出して鞭打ち、焼いた。 BC522年、シリアで馬に乗るとき自分の剣で腿を刺した。アピスと同じ場所。「エクバタナで死ぬ」と言われていた。シリアのエクバタナ村。
エジプトの碑文。ウジャホルレスネト。サイスの祭司で提督。「大王が来た。私は彼にネイトの神殿の穢れを除いてもらった。彼はサイスに来て神殿で拝んだ。私は彼のファラオの名を作った。メストゥラー、ラーの子」。 アピスの石棺。カンビュセスの名で。「彼はアピスに石棺を捧げた」。年代は、彼がアピスを殺したという年に死んだ牛ではないと示す。 ヘロドトスは75年後にエジプトに来て、エジプトの祭司から聞いた。負けた側の話。 ペルシアの王はエジプトの神を尊んだ、と碑は言う。 どちらも本当かもしれない。 エジプトはそれから200年、ペルシアの州だった。第27王朝。ダレイオスが運河を完成させた。