概要
王を追放し、任期1年の執政官2人が統治する体制になった。年代は伝承による。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
最後の王タルクィニウス・スペルブスの息子が ルクレティアという女性を辱め、彼女が自死し、 それに憤った人々が王を追放した——と伝わる。
この筋書きは、後の共和政の価値観から逆算して 作られた可能性が高い。王を憎むことが共和政の基本の徳だった。
できた体制は、任期1年の執政官2人が互いを拒否できるというものだった。 一人に権力が集まらないよう、あらゆるところに二重の仕掛けがある。 そのぶん決められない。非常時には独裁官を6か月だけ置いた。
500年後、その仕掛けをすべて備えたまま、 一人の男が終身の独裁官になる。 王を追放した記憶があったから、彼は「王」を名乗らなかった。
出典(1)
塩野七生 『ローマ人の物語』I ローマは一日にして成らず