概要
「そこから先は海が沸き、船は帰れない」。ヘンリー航海王子が15回送って、15回引き返した。ジル・エアネスが沖に出て回った。何もなかった。それから毎年、南へ。恐れは地図の上にあった。アフリカの海岸は、それから50年で喜望峰まで開いた。
場所
26.13°N -14.50°E · 西サハラ
関わった人(1)
エンリケ航海王子AD1394年3月4日–AD1460年11月13日 · 送り続けた本文
ボハドル。「膨らみ」。西サハラ。北緯26度。 浅瀬。霧。潮。赤い砂の崖。 「緑の海の闇」。アラブの地理学者。 「そこから先は、太陽が近く、人は黒くなり、海は沸き、船は帰れない」。 1421年から。ヘンリー。 「15回」。「12回」。 ジル・エアネス。ヘンリーの家の従者。1433年、カナリアまで行って帰った。 「もう一度。恐れるな。私が命じた」。 1434年。バルカ船。 「岬を見ないように、沖へ」。 回った。 「上陸した。花を摘んだ。『聖マリアの薔薇』」。 何もなかった。 アズララ『ギニア発見征服年代記』。1453年。 1435年、エアネスとバルダイア。50レグア南。 1436年、「リオ・デ・オーロ」。金の川。金はなかった。 1441年、アンタン・ゴンサルヴェス。10人のアフリカ人を連れ帰った。ラゴス。 1444年、235人。ラゴスの浜で分けた。アズララが泣いた、と書いた。 1445年、セネガル川。「緑の土地」。 1460年、シエラレオネ。ヘンリーが死んだ。 1482年、コンゴ川。 1488年、喜望峰。 「恐れは、地図の上にあった」。 「ボハドルは、船の帆の問題だった。北からの風と海流で、戻れなかった。バルカ船とラテン帆で、戻れた」。 「あるいは、ただ、誰も、行かなかった」。 「地図の端」。 「ここより先に竜がいる」。 ペソア。『メッセージ』。「ボハドル岬を越えたければ、苦しみを越えなければならない。神は海に危険と深淵を与えたが、そこに空を映した」。 「オ・マール・ポルトゥゲース」。 「塩辛い海よ、お前の塩の、どれだけが、ポルトガルの涙か」。 ボハドル。 いまは西サハラの小さな町。モロッコが治めている。 灯台。