概要
教皇が三人いた。皇帝ジギスムントが公会議を開かせ、三人とも辞めさせて一人を選んだ。フスは安全通行証を持って来て、焼かれた。「公会議は教皇の上」。ボヘミアが15年燃えた。
場所
47.66°N 9.18°E · ドイツ
本文
1378年、大シスマ。ローマとアヴィニョン。 1409年、ピサ。二人を廃して、三人目。 三人。 ジギスムント。ハンガリー王。ローマ王。 ヨハネス23世。ピサ系。海賊だった、と。 1414年11月5日。コンスタンツ。ボーデン湖。 「公会議」。 1415年3月、ヨハネス23世が逃げた。馬丁の服で。捕まった。 「教皇は公会議の下」。『ハエク・サンクタ』。4月6日。 5月、ヨハネス23世を廃した。「海賊、殺人、男色、姦通」。「もっとひどい罪は、教会の体面のために言わない」。 7月、グレゴリウス12世が辞めた。 1417年、ベネディクトゥス13世を廃した。彼は認めず、スペインの岩の城で「私が教皇」と1423年まで。 1417年11月11日、マルティヌス5世。 一人。 フス。プラハ。ウィクリフ。「教会は選ばれた者の集まり。教皇は頭ではない」。 1414年、ジギスムントの安全通行証。 11月、コンスタンツ。 12月、獄。 「安全通行証は、異端者には効かない」。 1415年6月、審問。「私は撤回しない。聖書で示されなければ」。 7月6日。大聖堂。「異端者」。紙の帽子。悪魔の絵。 街の外。火。 「今日、あなたたちは鵞鳥(フス)を焼く。100年後、白鳥が来る」。伝説。ルターが引いた。 灰はラインに。 1416年5月30日、ヒエロニムス。同じ場所。 プラハ。1419年、市庁舎の窓から。フス戦争。 「聖杯」。 「私は自分のためでなく、ボヘミアのために」。 「公会議至上主義」。 バーゼル。1431年から1449年。 「公会議は教皇の上」は、1460年にピウス2世が禁じた。「エクセクラビリス」。 コンスタンツの商館。「コンツィル」。公会議の建物、と言われる。実際は倉庫。 1993年、インペリア像。港。9メートル。回る。娼婦が、教皇と皇帝を手のひらに乗せている。バルザックの小説から。 街は文句を言った。 いまは、街の印。 フスの記念碑。焼かれた場所。 1999年、教皇ヨハネ・パウロ2世がフスに「深い遺憾」。 600年。