概要
皇帝が招集し、教義の統一が図られた。信仰の内容を国家が決める前例になる。
場所
ニカイア
40.43°N 29.72°E · トルコ・ブルサ県イズニク
40.43°N 29.72°E · トルコ・ブルサ県イズニク
関わった人(1)
コンスタンティヌス1世AD272年頃–337年5月22日 · 招集本文
争点は、キリストが父なる神と同じ本質なのか、 それとも造られた最初の被造物なのか、だった。 アレクサンドリアの司祭アリウスが後者を説き、 教会が割れていた。
召集したのは皇帝である。司教たちを公費で運び、 自ら開会の演説をした。 帝国が一つであるためには、教会が一つでなければ困る。 神学の問題が、統治の問題として扱われた。
決まったのは「父と同一本質」という規定になる。 反対した司教は追放された。 どちらが正しいかを、多数決と皇帝の権威で決めたことになる。
信仰の内容を国家が裁定するという形が、ここで前例になる。 以後の公会議も、たいてい皇帝が招集する。
出典(1)
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第21章