概要
洛陽と長安が匈奴に落ち、皇族の司馬睿が建康で帝位に就いた。北から逃げた貴族が政権を握り、江南が中国の中心になっていく。「王と馬と天下を共にす」と言われた。
場所
南京
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省
本文
八王の乱で晋の皇族が殺し合い、 その隙に匈奴の劉淵が漢を建てた。 311年に洛陽が落ち、懐帝が捕えられて匈奴の宴で酒を注がされた。 316年に長安が落ち、愍帝が同じ目に遭った。
瑯琊王の司馬睿は307年から建康(いまの南京)にいた。 王導の家が支えた。 北から逃げてきた貴族を受け入れ、 江南の土着の豪族をなだめ、 317年に晋王、翌年に皇帝になった。
「王と馬と、天下を共にす」。 王氏と司馬氏が天下を分け合っている、という当時の言葉。 皇帝の即位式で、司馬睿は王導に「一緒に座れ」と言った。 王導は断った。
以後、江南の政権は宋・斉・梁・陳と代わって589年まで続く。 北から来た貴族は、北の言葉を保ち、北の郡の名を江南の土地につけ、 帰ることを言いながら帰らなかった。 書と詩と清談の文化が、ここで育つ。 王羲之は王導の甥にあたる。