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Event / できごと

ダンケルクの撤退

Dunkirk evacuation
AD1940年5月26日
重要度 5

概要

フランス北部で包囲されたイギリス軍とフランス軍33万8000人を、駆逐艦と漁船と遊覧船の800隻が9日で海峡を渡して運んだ。ヒトラーの戦車が2日止まった理由は、いまも論じられている。「撤退で戦争は勝てない」とチャーチルは言い、それから「我々は浜で戦う」と言った。

場所

ダンケルク
51.03°N 2.38°E · フランス

関わった人(1)

チャーチルAD1874年11月30日–AD1965年1月24日 · 首相

本文

5月10日、ドイツがオランダ、ベルギー、ルクセンブルクへ。 イギリス遠征軍とフランス軍がベルギーへ北上した。「ディール計画」。 アルデンヌ。「戦車は通れない」。通った。 5月13日、スダン。ムーズを渡った。 5月20日、グデーリアンがアブヴィル。海。 北の連合軍が切られた。100万人。 5月23日、ブーローニュ。5月26日、カレー。 5月24日、ヒトラーが装甲師団を止めた。「停止命令」。ルントシュテットが求めた。「戦車を休ませる。ゲーリングの空軍が」。 2日。 「ヒトラーはイギリスと和したくて逃がした」。「戦車の損耗」。「ゲーリングの野心」。分からない。 5月26日、「ダイナモ作戦」。ラムゼー提督。ドーヴァーの崖の下。 「4万5000人を2日で」が目標。 ダンケルク。港は爆撃で使えない。東の防波堤。浜。 「小さな船」。850隻。「泥に乗り上げられる船なら何でも」。テムズの遊覧船、漁船、救命艇、ヨット。 兵が浜から腰まで水に入って並んだ。 駆逐艦。1隻で1000人。 5月29日、4万7000人。5月31日、6万8000人。 フランス軍が周囲を守った。4万人が捕虜になった。 6月4日、終わり。33万8226人。イギリス人19万8000人、フランス人14万人。 兵器は全部浜に置いた。車6万台、戦車400両、砲2400門。 「イギリス軍は、ライフルさえ足りなかった」。 6月4日、チャーチル。下院。 「戦争は撤退では勝てない。だが、この救出の中には勝利があった」。 「我々は浜で戦い、上陸地点で戦い、野で街で丘で戦う。我々は決して降伏しない」。 「ダンケルクの精神」。 フランス。「イギリスは自分たちだけ逃げた」。6月22日、降伏。 「もし33万人が捕えられていたら、イギリスは講和した」。 ハリファックス。5月26日から28日、戦時内閣で「ムッソリーニを通じて講和の条件を」。チャーチルが押し切った。 「あの週に、戦争は決まった」。 1958年、映画。2017年、ノーラン。 「小さな船」の協会が、いまも5年ごとに海峡を渡る。 浜は、いま観光地。 砂に、まだ鉄が出る。

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