概要
遊牧民を強制的に定住させ、家畜を集団化した結果、150万人前後が死んだ。カザフ人の人口の4割近くにあたる。長く公には語られなかった。
場所
アラル海位置は特定されていない(誤差 ±200km)
45.00°N 60.00°E · カザフスタン・ウズベキスタン
45.00°N 60.00°E · カザフスタン・ウズベキスタン
本文
カザフの人びとは、家畜とともに季節ごとに移動して暮らしていた。
1929年から、ソビエトは定住と集団化を同時に進めた。 家畜は集団農場のものになり、 移動できなくなった群れは、冬の草を食べ尽くして死んだ。 1928年に4000万頭いた家畜が、1933年には400万頭になる。
食べるものが無くなった。 穀物の供出の割当は、それでも下げられなかった。
死者は150万人前後と推定される。 当時のカザフ人の人口の4割近くになる。 100万人以上が中国、モンゴル、隣の共和国へ逃げた。
同じ年、ウクライナでも飢饉が起きている(ホロドモール)。 どちらも、集団化という同じ政策の帰結になる。
カザフスタンでは、この飢饉は長く公に語られなかった。 1990年代になって調査が始まり、 いまはアルマトイに記念碑が建っている。
この飢饉で、カザフ人は自分の共和国で少数派になった。 その状態が回復するのは、独立後の1990年代になる。