概要
天皇暗殺を計画したとして社会主義者26人が起訴され、非公開の一審で24人に死刑判決、12人が処刑された。幸徳秋水は計画を知らなかったとされる。以後、社会主義は「冬の時代」に入る。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
関わった人(1)
幸徳秋水AD1871年11月5日–AD1911年1月24日 · 処刑本文
1910年5月25日。 長野県。 明科製材所。 宮下太吉。 爆裂弾。 「ブリキ缶に、 塩素酸カリと、 鶏冠石」。 試験していた。 1909年11月。 「天皇に投げる」。 新村忠雄、 古河力作、 管野スガ。 4人。 「実際に、 計画した」のは、 この4人と、 考えられている。 6月1日、 幸徳秋水。 湯河原。 逮捕。 6月、 全国。 数百人。 「社会主義者、 無政府主義者」。 26人、 起訴。 「刑法73条」。 「天皇、 太皇太后、 皇太后、 皇后、 皇太子に対し、 危害を加え、 または加えんとしたる者は、 死刑に処す」。 「大逆罪」。 大審院。 一審のみ。 非公開。 弁護人、 平出修、 花井卓蔵。 1910年12月10日、 開廷。 12月29日、 結審。 1911年1月18日、 判決。 死刑24人。 有期2人。 1月19日、 「天皇の恩命」。 12人を無期に。 1月24日。 市ヶ谷。 東京監獄。 幸徳秋水、 森近運平、 宮下太吉、 新村忠雄、 古河力作、 奥宮健之、 大石誠之助、 成石平四郎、 松尾卯一太、 新美卯一郎、 内山愚童。 11人。 1月25日、 管野スガ。 12人。 大石誠之助は、 新宮の医者。 「ドクトル大石」。 和歌山県で、 6人が。 「熊野」。 内山愚童は、 曹洞宗の僧。 「無政府共産」。 森近は、 岡山。 「農業」。 幸徳は、 「湯河原にいた」。 「爆裂弾のことは、 宮下から聞いたが、 賛成しなかった」。 「私は、 無政府主義者だが、 暗殺主義者ではない」。 「陳弁書」。 獄中で。 「文字通りの無政府主義」。 「私の主義は、 暴力ではない」。 判決文。 「幸徳は、 首魁」。
平出修。 弁護人。 歌人。 『明星』。 石川啄木に、 記録を見せた。 啄木、 「時代閉塞の現状」。 1910年8月。 「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」。 「A LETTER FROM PRISON」。 幸徳の陳弁書を、 写した。 『所謂今度の事』。 「われわれは、 一体、 何を、 どうすればいいのか」。 「ココアのひと匙」。 「われは知る、 テロリストの、 かなしき心を」。 1912年、 啄木は死んだ。 26歳。 徳冨蘆花。 1911年2月1日、 一高で、 「謀叛論」。 「諸君、 幸徳君らは、 時の政府に謀叛人と見做されて殺された。 諸君、 謀叛を恐れてはならぬ。 謀叛人を恐れてはならぬ。 自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ」。 「新しいものは常に謀叛である」。 大石誠之助の甥、 西村伊作。 文化学院。 「冬の時代」。 1911年から。 「社会主義」は。 1961年、 再審請求。 1965年、 棄却。 1967年、 最高裁、 棄却。 「無罪」は、 出ていない。 新宮市は、 2018年、 大石誠之助を、 「名誉市民」に。 107年後。