概要
第一高等中学校の教育勅語奉読式で、教師の内村が天皇の署名に深く頭を下げなかった。「不敬」と騒がれ、辞職に追い込まれた。キリスト教は国体と相容れるか、という論争が始まる。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
関わった人(1)
内村鑑三AD1861年3月26日–AD1930年3月28日 · 辞職本文
1891年1月9日。 第一高等中学校。 本郷。 教育勅語の奉読式。 校長が読み、 教員と生徒60人が、 順に壇に上がって、 天皇の署名に、 最敬礼。 内村は、 軽く、 頭を下げた。 「宗教的な礼拝ではないか」と迷って。 「私は、 一瞬、 ためらった」。 生徒が騒いだ。 教師が。 「不敬」。 新聞。 「内村鑑三の不敬」。 「基督教徒は国賊」。 校長木下広次が、 「もう一度、 礼をしてくれ」。 内村は、 「宗教的な意味でないなら」と、 同意した。 その頃、 流感で寝込んで、 代理の同僚が代わりに礼をした。 2月3日、 依願解職。 妻かずが、 看病で感染して、 4月に死んだ。 22歳。 結婚して2年。
「不敬事件」。 井上哲次郎。 東京帝国大学教授。 1893年、 『教育ト宗教ノ衝突』。 「キリスト教は国家に反する。 無国家主義、 博愛は忠孝に反する、 出世間的、 天皇を神と認めない」。 内村、 「文学博士井上哲次郎君に呈する公開状」。 柏木義円、 植村正久、 横井時雄が反論した。 「キリスト教徒は、 日本人でありうるか」。 その後50年、 繰り返された問い。
内村。 1892年、 大阪、 熊本、 名古屋。 教師。 1895年、 『代表的日本人』。 英語で。 『Japan and the Japanese』。 西郷隆盛、 上杉鷹山、 二宮尊徳、 中江藤樹、 日蓮。 1895年、 『余は如何にして基督信徒となりし乎』。 英語で。 「How I Became a Christian」。 1897年、 『万朝報』。 1901年、 足尾。 1903年、 非戦論。 『万朝報』を辞めた。 1900年、 『聖書之研究』。 無教会。 1930年、 死んだ。 矢内原忠雄、 南原繁、 塚本虎二、 藤井武、 弟子。 矢内原は1937年に東大を追われ、 戦後、総長に。 南原も。 「日本のキリスト教」は、 この事件から、 「日本の」であることを、 証明し続けなければならなかった。