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Event / できごと

日比谷焼打事件

Hibiya incendiary incident
AD1905年9月5日
重要度 3

概要

賠償金なしの講和に怒った群衆が日比谷公園に集まり、内相官邸、交番、教会、新聞社を焼いた。死者17人。戒厳令。国民は自分が勝ったと思っていた。政府は負けかけていたことを言えなかった。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

8月29日、 「賠償金を放棄」。 新聞。 『大阪朝日』、 「屈辱講和」。 『万朝報』、 『国民新聞』は、 政府側。 「講和問題同志連合会」。 河野広中、 頭山満、 小川平吉。 「講和条約破棄」。 「戦争継続」。 9月5日、 「国民大会」。 日比谷公園。 警視庁が、 公園を封鎖した。 「集会禁止」。 門に警官。 午後1時、 3万人。 門を破った。 大会。 「講和反対」の決議。 二重橋へ。 「万歳」。 帰り。 『国民新聞』社。 徳富蘇峰。 政府の御用新聞。 石。 火。 内相官邸。 芳川顕正。 火。 警察署、 交番。 215か所。 全焼した交番、 15か所。 「警官が、 サーベルを抜いて」。 教会。 13か所。 「ロシアの宗教」と、 間違えて。 キリスト教の。 市電。 15両。 9月6日、 戒厳令。 東京市と周辺。 「行政戒厳」。 「治安のため」。 初めて。 近衛師団。 9月7日、 夜。 「鎮まった」。 11月29日、 解除。 死者17人。 負傷者、 2000人。 検挙、 2000人。 起訴、 308人。 有罪、 87人。 横浜、 神戸。 「講和反対」の大会。 全国。

「国民は、 勝ったと信じていた」。 新聞が、 「連戦連勝」。 政府は、 「戦争を続けられない」ことを、 言えなかった。 「言えば、 ロシアが、 続ける」。 言わなかった。 だから、 国民は、 怒った。 「桂園時代」。 桂と西園寺が、 交互に。 「都市民衆騒擾」。 1905年から1918年。 日比谷、 電車賃値上げ反対、 大正政変、 シーメンス、 米騒動。 「群衆」が、 政治に。 「大正デモクラシー」の始まり、 と言う人もいる。 「日比谷焼打事件から」。 「国民が、 戦争を、 求めた」。 「政府が、 国民に、 本当のことを言わなかった」。 どちらも。 1945年8月15日まで、 政府は、 負けていることを、 言わなかった。

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