概要
アジアで最初の近代的な成文憲法。天皇が定めて国民に与える形をとり、議会には限られた権限が置かれた。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(1)
伊藤博文1841年–1909年 · 起草本文
起草の中心は伊藤博文で、ドイツ(プロイセン)の憲法を範とした。 イギリス流の議院内閣制を採らなかったのは、 君主の権限を残す形が日本に合うと判断したためになる。
天皇が定めて国民に与える「欽定憲法」の形を取った。 主権は天皇にあり、 統帥権(軍の指揮権)は議会も内閣も及ばないとされた。
一方で、臣民の権利が「法律ノ範囲内ニ於テ」認められ、 議会が予算を審議し、裁判所が独立した。 アジアで最初の近代的成文憲法になる。
統帥権が独立していたことは、 50年後に軍を止められない仕組みとして働く。 そのとき、この条文の解釈が根拠に使われた。
出典(2)
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第IV部 地球規模のコスモポリタニズムの始まり(1850年〜)
ベネディクト・アンダーソン(白石隆、白石さや 訳) 『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』第6章 公定ナショナリズムと帝国主義